なかなか聞き馴染みがないと思います。
なんと埼玉県鶴ヶ島市の伝統的なお祭りだそうです。
埼玉県にそんな大きなお祭りがあるなんて、私は初耳です。
いったいどんな祭りなんでしょうか?
本記事では脚折雨乞について、歴史やどんな祭りかを調査して参りました。
記事の内容は以下の通りになっています。
- 脚折雨乞とは?
- 脚折雨乞の発祥は?
- 脚折雨乞の歴史は?
- 脚折雨乞今年はどうなる?
以上のことについてまとめてきましたので、最後までご覧いただきたいと思います。
それでは早速いきましょう
脚折雨乞とは?
では早速脚折雨乞について紹介していきたいと思います。
脚折雨乞は、国選択無形民俗文化財、市指定無形文化財に指定される江戸時代から継承されている伝統的な行事です。
特徴は、長さが36メートル、重さ約3トンもある「龍蛇」という大きな担ぎ物を作って雨乞いを行うということです。
白髭神社前で麦わらと孟宗竹という竹を原料として龍蛇は作られます。
雨乞い行事当日、出発前の入魂の儀式によって龍神となっていくそうです。
巨大な龍神を300人ぐらいの男性が雷電池(かんだちがいけ)まで約2キロメートルもある距離を担いで渡っていきます。
到着したら、龍神を池に入れてそこで担いできた男たちは必死になって雨乞いを行います。
そして、雨乞いは池の中でクライマックスとなっていきます。
そして池に入れられた後、龍神は解体されて行きます。
最後の龍神が解体された後、頭部につけられている金色の宝珠を、若者たちが奪い合うところは非常に豪快で、見ていてすがすがしい気持ちになります。
「脚折雨乞」はふるさとイベント大賞で日本一に!
脚折雨乞はふるさとイベント大賞で日本一になるほど伝統的で市民に愛されている祭りです。
財団法人地域活性化センターで主催されたふるさとイベント大賞とは、全国各地で数多くの開催されているイベントのうち特に優れたものが表彰されます。
さらに全国に向けて紹介することで、ふるさとイベントの更なる発展を応援することを目的としています。
脚折雨乞は埼玉県の鶴ヶ島市などの関係機関や行事に関わってくださる地域住民の支援と協力のもと行われている行事です。
このイベントが現在だけでなく次々と若い世代に受け継がれたら、イベントとしてより素晴らしいものになってくること間違いなしです。
脚折雨乞の発祥は?
昔から日照りのときに、脚折の雷電池のほとりにある雷電社の前で雨乞いをすると、雨が必ず訪れるという伝説がありました。
1772年~1789年の頃に、その伝説は知られました。
しかし、1830~1844年になると、その伝説はあまり知れ渡ることなく誰も信じることがなくなってしまいました。
その時は、みんな雷電池には昔大蛇が潜んでいて1624~1644年の頃に池を沈めて田んぼにしてしまったため、群馬県の方の池に移ってしまったと思っていたそうです。
やはり、何が起きたも昔の人は神や伝説というものを信じて生きていくのですね。
今では考えられない考え方で驚きを隠せません。
脚折雨乞の復活!
ではどうして脚折雨乞は復活を遂げたのでしょうか?
脚折雨乞は、専業農家が減少してしまい人手が足りなくなってしまったことや、現代に移り変わっていくことによる時代の変化を理由に中止していました。
しかし、昭和に雨乞の持つ地域の一体感を再認識したそうです。
それを感じた地元脚折地区地域住民が、行事保存会を結成したことによって昭和51年に脚折雨乞が復活を遂げました。
そしてその年に鶴ヶ島町指定無形文化財に指定されてたため続けることを決意したそうです。
今では4年に1度開催され、オリンピックの開催時期と一緒に行われています。
休止していたお祭りがまさかの復活を遂げるなんて本当にすごいことですし、市民としても誇らしいことですよね。
脚折雨乞今年はどうなる?
前回は、コロナによって中止してしまいましたが今年は開催することができるのでしょうか?
私はコロナが大体収まってきたように見えるので地元の方や観光の方の安全を配慮することを約束できれば、開催することができるのではないかと思います。
こんなにも伝統的で受け継がれているイベントをコロナのせいで休止せざる終えなくなってしまうのは非常に悲しいことです。
ですので地域住民の方も開催することを願っていることでしょう。
是非とも開催してほしい伝統的な祭りだと思います。
脚折雨乞とは?歴史や発祥を調査!まとめ
いかがでしたか?
脚折雨乞いについて詳しく調査して参りました。
脚折雨乞の歴史や発祥、どんなイベントかというのを知っていただき、脚折雨乞参加してみたいと思っていただけたら幸いです。
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